芥川賞

日常

【書評】村田沙耶香『コンビニ人間』の要約と考察/”普通”とは何か

主人公である古倉恵子は、幼少期から他人とズレた子供でした。自分の意志で判断した言動は間違いだと指摘され、人のためにと思った行動は相手を困惑させます。彼女はどうしたらそれが”治る”のか見当もつかないまま、成長してしまいました。そんな時、コンビニのオープニングスタッフ募集の張り紙が目に入り…そこは、恵子を”普通”の人間にしました。普通の人間とは何か、現代社会において普通に生きるとはなにか、問いただす作品。物語の中で語られる”普通”すら、”普通”のことではないかもしれません。その答えは、あなた自身で。
日常

【書評】宇佐見りん『推し、燃ゆ』の要約と考察/あなたにとっての「背骨」は何ですか?

私には”推し”というものがいません。本書を手に取ったのは、”推し”がいる人々の気持ちを追体験したいと思ったからです。この本を読むことで恐らくそれは達成できました。主人公は学校にも家庭にもバイト先にも居場所がないと感じている女子高生あかり。そんな彼女の生きがいはアイドルである“推し”を“推す”こと。“推す”ことが彼女の人生の唯一の生きがいであり存在する意味でした。推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。(本文より)本書は、この衝撃的な一文から始まります。"推し"が"推せなくなる"。あかりは絶望しました。"推し"が燃えたことで、ままならないあかりの人生は更に転落を始めます。推しとは"推し"という言葉は主に、”人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物”に使われますが、それだけの単純な意味とも言えない気がします。広辞苑で調べてみると、「推し」は載っていませんでしたが「推す」で下記のように書かれていました。事物を上・先へ進めるように他から力をいれる(広辞苑 第六版より)主人公のあかりは、彼女自身だけで前へ進めるほど強い人間ではありません。彼女が前に進むためには、”推し”という自らの支えとなるような外的な要因が必要不可欠です。作中では"推し"を、”背骨”とも表現しています。
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