【書評】『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』 -生き抜けば大人になれたのに

桜庭一樹・著


その日、兄とあたしは、必死に山を登っていた。見つけたくない「あるもの」を見つけてしまうために。あたし=中学生の山田なぎさは、子供という境遇に絶望し、一刻も早く社会に出て、お金という“実弾”を手にするべく、自衛官を志望していた。そんななぎさに、都会からの転校生、海野藻屑は何かと絡んでくる。嘘つきで残酷だが、どこか魅力的な藻屑となぎさは徐々に親しくなっていく。だが、藻屑は日夜、父からの暴力に曝されており、ある日――直木賞作家がおくる、切実な痛みに満ちた青春文学。

(KADOKAWAより)

書評


『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』は、一生大切にし続ける本の1つだ。

この本と出会えたことが嬉しい。





物語冒頭で描かれる、少女のバラバラ遺体

その残酷な事件に向かって、一筋に物語は進んでいく。


主要登場人物は2人。

2人の主人公は、貧困虐待と、この世界を生きるには到底厳しい境遇をもつ。

しかし彼らは、そんな不幸な現実と戦う。

現実に打ち勝つために。

生き残るために、“実弾”を手に入れようとする少女、山田なぎさ

自らを人魚と名乗り、”砂糖菓子の弾丸”を撃ち続ける少女、海野藻屑

二人の出会いから紡がれる、一月程度の物語。

彼らは”砂糖菓子の弾丸”を手に、どう生きていくのか。


今を生きているという事がどんなに幸せか、考えさせられる作品だ。





※以下考察・感想。内容についてネタバレを含んでいます。未読の方はご注意下さい。






”実弾”と”砂糖菓子の弾丸”の意味

本書では、社会に対抗するための術の比喩として”実弾””砂糖菓子の弾丸”は書かれている。

“実弾“とは、お金や立場、仕事等、豊かな生活を営むために直接的に必要となるもの。生活を打開できる力となるもの。

転じて“砂糖菓子の弾丸”は、別名:空想的弾丸。自らを守るために放つ言葉、行動。しかしその弾丸は実質的に機能することはなく、生活を打開するだけの力は持ち合わせていない。


子供は、”実弾”を手にすることは出来ない。生活をより良くしようとしても、お金を稼ぐことは出来ないし、家族が嫌いだったとしても、離れて暮らすことは出来ない。そもそもその生活の全ては身近な大人により守られる筈で、子供は”実弾”自体を手にする必要性が無いのだ。

しかし現実には、現状のままでは苦しい状態にある子供たちは沢山存在している。

そんな子供たちは、”実弾”を真似た”砂糖菓子の弾丸”を手に、世の中を変えようとする事しか出来ない。

子供がどれだけ一生懸命砂糖菓子で出来た弾丸をぽこぽこ撃ったところで、世界は何も変わらない、変えられない。


この物語の主人公、なぎさと藻屑。彼らはまだ13歳の子供だ。

世の中と戦いたくても、”実弾”を手にすることは出来ない。

だからなぎさは、実弾を出来るだけ早く手に入れる為だけに行動しようとし、手っ取り早く大人になれる自衛隊を志した。

藻屑は、なぎさのような選択はしなかった。噓をつき、自らを人魚と偽ることで少しでも自分の心を守る。現実の苦しさをなかったことにする。つまり、”砂糖菓子の弾丸”を手に戦う選択をした。

その結果なぎさは現実世界に生き残り、藻屑は「戦死」してしまったのだが。



また、この物語には、”砂糖菓子の弾丸”を手に戦う人物がもう一人いる。それは〈貴族〉の兄、山田友彦だ。

作中でなぎさが思う言葉、

生きることに直接関係のないこと――人生の意味とか、愛の正体とか、世界の仕組みとか――について悩むのは、中世とかだと貴族階級だけの特権だったらしい。

(本文より)

これは藻屑に対して思った内容だが、友彦についても同じことが云える。

所謂引きこもりで、ネットショッピングで買った魔術書を音読し、良くわからないマジック用品を操り魔術と手品の違いを説く彼は、”砂糖菓子の弾丸”を手にして〈貴族〉となり、その結果、将来的になぎさに養ってもらう可能性を得ている。

同じ”砂糖菓子の弾丸”を用いて戦った友彦と藻屑だが、最終的には友彦は生き残り、藻屑は死んだ。二人の”砂糖菓子の弾丸”は何が違ったのか

そんなに大きな違いはなかったと思う。しかし、友彦の方が確実な”実弾”を得る猶予があった、というところだろうか。

物語終盤に友彦が吐いた濃いピンクのなにか、あれはきっと、”砂糖菓子”が”実弾”に変わる瞬間だ。友彦は現実を見据えた行動を起こすことで、やっと大人になり、最終的に”実弾”を手にすることが出来た。

藻屑も行動を起こそうとしていたのに、少しの猶予が足りなかっただけだったのだ。



愛の定義は、生まれ育った環境で定まる

加えてこの物語が説いているのは、愛の定義についてだと思う。

作中で藻屑は言う。

「好きって絶望だよね」

(本文より)

その言葉は藻屑の愛に対する認識の全てだ。


藻屑は正しい愛を知らない。

なぎさと藻屑の出会いの言葉、「死んじゃえ」が、藻屑からすれば愛情表現の一種だったことからもそれは分かる。

彼女のその考えは、生まれ育った家庭環境から来ている。

藻屑の知るは、父親である海野雅愛から受ける暴力のみだった。藻屑は、父からの暴力を愛情と捉えようとしていた。だから、彼女にとっての愛とは絶望そのものだったのだ。

藻屑を傷つけた海野雅愛の行為はとても許されることではない

しかし、本書を読み進めると、海野雅愛の行動はただの憎しみからくる暴力ではないのかもしれない、という考えにも行きつく。

そう考えられる根拠が、ポチ、そして藻屑を手にかけたあとの彼の涙。

その涙から察せられるのは、彼は藻屑を間違いなく愛してはいた、という事実だ。

つまり、彼自身も正しい愛情の授け方を知らなかったのかもしれない。

人を愛する方法を彼自身も知らず、その手段は暴力になった。彼もまた愛の定義が歪められた被害者だったのだろうか。


そして印象的なシーンがもう一つ。それは、藻屑の花名島に対する暴力だ。

暴力なのだが、このシーンは何だか少し違う。

花名島は、暴力を受けながら喜んでいる

彼は好意を抱く女の子からモップで背中を叩かれることで性的興奮を覚え、開発されてしまった。

そんな彼は置いておいて、この時藻屑は、どうしてそんなことをしたのか。

恐らく、彼女は混乱をしていたのだろうと思う。

物語半ば、藻屑は花名島に殴られた。その当時の藻屑にとって、殴るという行為は父親から受ける最上の愛情でしかなく、そんな愛情をどうして花名島から受けたのか分からなかった。花名島は藻屑を憎み、藻屑を殴っていた。彼女はここで疑問を覚える。暴力とは愛情ではなかったのか

花名島をモップで叩く藻屑は、愛情と暴力について疑っている。そして、愛情と暴力を切り離してモップで叩く。今まで信じていた愛=暴力の構図が崩れる瞬間が、このシーンだったのだと思う。

しかし複雑なのが、花名島がそんな行為に対して、喜んでしまったのだ。

藻屑は何が何だか分からなかったに違いない。天井を見上げて、両手で頭を抱えて、大声で泣き始めてしまった。





やるせない物語だった。

しかし、これだけは思う。“砂糖菓子の弾丸”は、実質的に役に立たないのだけれど、消えてしまうのだけれど、少なからず誰かの心には残っている。

べたべたと口に残る、甘ったるい砂糖菓子のように。

子供はみんな兵士で、この世は生き残りゲームで、

生き残った子は大人になる。

(本文より)


著者紹介

著者である桜庭一樹(さくらば・かずき)さんについて、

1971年島根県生まれ。鳥取県出身。1999年、『夜空に、満天の星』で第1回ファミ通エンタテインメント大賞小説部門佳作を受賞しデビュー。2007年『赤朽葉家の伝説』で日本推理作家協会賞、2007年『私の男』で直木賞受賞。その他の小説に『少女には向かない職業』『荒野』『ファミリーポートレイト』『伏 贋作・里見八犬伝』『無花果とムーン』、『GOSICK』シリーズ等、多数の著書がある。

作風としては、現実に苦しみ葛藤する女性たちを繊細に書いた作品が多い。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』は、2007年ドラゴンコミックスエイジにてコミカライズ。



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