谷崎潤一郎

芸術

【書評】谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の要約と考察/日本の美学の底には「暗がり」と「翳り」がある

陰翳とは、“薄暗い影”、”覆われて見えないところ”の意。転じて『陰翳礼讃』とは、「日本の建築空間や伝統的な物品、生活様式とは、陰翳から成り立つ美しさなのである」という主張を谷崎自身があらゆる面から見つめなおし、礼讃した評論です。日本家屋は、日本の厳しい自然から身を守るために深い庇をつくり、豊かな風景と共に生きるために、自在に外と中を入れ替える障子扉、風景を切り取る窓をつくりました。その結果つくり出されたのは【陰翳】であり、日本人はそんな日本家屋で、【陰翳】と共に生きてきました。これは、西洋の建築のような、光を最大限取り込む石造りの丈夫な建物とは大きく様相が異なります。どちらかが良いというわけではなく、お互い当時の自然環境や情勢がそうさせたのです。我々日本人の先祖は、【陰翳】とともに住むことを余儀なくされ、その結果、いつしか【陰翳】の内に美を発見しました。蠟燭の光が行燈に透けてゆらゆらと揺らめく。それが畳や焦茶の木の柱、天井に反射し、床の間の掛け軸や飾物をしっとりと映し出す。格子窓から差し込む光、木漏れ日のように室内に落ちる日の光によって、艶と煌めく陶器の器。日本の建築、物品は、全ての良さが呼応するように計算しつくされた総合芸術なのです。
純文学

【書評】谷崎潤一郎『春琴抄』の要約と考察/究極美麗なマゾヒズム

『春琴抄』はマゾヒズムを究極まで美麗に描いた文学です。以下、内容を要約しています。未読の方はご注意下さい。美しき盲目の琴曲の名手、春琴。しかしその性格は驕慢で我儘。ある日春琴に、世話係として丁稚奉公の佐助があてがわれました。佐助は、春琴からどんなに理不尽に折檻を受けても、献身的に尽くし続けます。それは不気味なほどに。やがて佐助と春琴は深い関係になり、子を儲けます。ですが気位の高い春琴は、その子を佐助との子と認めませんでした。両親は二人に結婚を勧めますが、佐助もそれを拒みました。そんなある日、春琴は何者かに熱湯を浴びせられ、顔に火傷を負います。美貌を失った春琴は、佐助に見捨てられることを恐れ、「見るな」と命じます。佐助はその言葉を受け、自らの両目を針で突き刺し、視力を失いました。そして、春琴と同じ世界を味わえることに、深く喜びました。春琴もそれを喜び、自分を理解してくれる佐助に感謝します。二人は涙を流しながら、抱き合いました。佐助は盲目となったことで、春琴の音楽がより深く理解できるようになりました。春琴は昔ほど高慢でなくなりましたたが、佐助はそれを望みません。厳しいお嬢様と、その奉公人の主従関係を拘りました。佐助の盲目の目には、いつまでも美しい春琴の姿を留めていました。
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