谷崎潤一郎・著
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何卒(なにとぞ)わたくしにも災難をお授(さず)け下さりませ――。
(新潮社より)
師弟であり、実際上の夫婦であった男と女の異様な至福。文豪・谷崎が到達した、絶対美の世界。
盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて谷崎文学の頂点をなす作品。幼い頃から春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年春琴がその美貌を何者かによって傷つけられるや、彼女の面影を脳裡に永遠に保有するため自ら盲目の世界に入る。
単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。巻末に用語、時代背景などについての詳細な注解、および年譜を付す。
書評
『春琴抄』はマゾヒズムを究極まで美麗に描いた文学である。
※以下あらすじ・感想。内容についてネタバレを含んでいます。未読の方はご注意下さい。
美しき盲目の琴曲の名手、春琴。
しかしその性格は驕慢で我儘。
ある日春琴に、世話係として丁稚奉公の佐助があてがわれた。
佐助は、春琴からどんなに理不尽に折檻を受けても、献身的に尽くし続ける。
それは不気味なほどに。
やがて佐助は春琴と深い関係になり、子を儲ける。
だが気位の高い春琴は、その子を佐助との子と認めなかった。
両親は二人に結婚を勧めるが、佐助もそれを拒んだ。
そんなある日、春琴は何者かに熱湯を浴びせられ、顔に火傷を負う。
美貌を失った春琴は、佐助に見捨てられることを恐れ、「見るな」と命じる。
佐助はその言葉を受け、自らの両目を針で突き刺し、視力を失う。
そして、春琴と同じ世界を味わえることに、深く喜んだ。
春琴もそれを喜び、自分を理解してくれる佐助に感謝する。
二人は涙を流しながら、抱き合った。
佐助は盲目となったことで、春琴の音楽がより深く理解できるようになった。
春琴は昔ほど高慢でなくなったが、佐助はそれを望まない。
厳しいお嬢様と、その奉公人の主従関係を拘った。
佐助の盲目の目には、いつまでも美しい春琴の姿を留めていた。
異常なる献身によって表現される、愛と倒錯の物語。
それは崇高な愛のかたちだ。
谷崎潤一郎の恋愛観
芸術家には大抵、作品の制作意欲を高めるミューズが存在するが、谷崎にも洩れなく居る。
それは谷崎の三人目の妻、松子だ。
谷崎と松子は、付き合う以前に二人とも伴侶がいたが、ある座敷にて二人は顔を合わせ、次第に恋が始まり情熱は膨らんでいく。
しかしお互いプラトニックな関係を良しとしていたそうで、
『春琴抄』はそんな時期に執筆していた。
記録によると二人は文通をしているのだが、その内容が中々興味深い。
谷崎は松子を高貴な女性と崇め奉り、自らを召使として設定し手紙をしたためているのだ。
松子もそれに乗って、まるでお嬢様とその召使の秘めたる恋、かのようなごっこ遊びに興じている。
その設定はまさに『春琴抄』の春琴と佐助の関係である。
『春琴抄』は、マゾヒズムの極致と評されるが、それはまさに谷崎独自の恋愛観である。
耽美主義
また、谷崎は日本を代表する耽美主義の作家である。
耽美主義
美を最高の価値と考え、其の創造を唯一の目的とする態度。自然より人工、精神より感覚・情緒、内容より形式、写実より虚構を重んじ、美を真、善の上に置き、時には悪にも美を認めて既成道徳を無視し、反俗的態度に終始した。そこから芸術思考主義、享楽主義などが展開された。唯美主義。
(精選版 日本国語大辞典より)
日本の耽美派の代表は、他に三島由紀夫や夢野久作等だろうか。
つまり、谷崎は情痴の先にあるマゾヒズムこそ本質的な耽美と述べているのだ。
耽美主義の文学を片っ端から読み漁った経歴のある私としては、谷崎の文学は大好物だ。
本質とは少しずれるのかもしれないが、私は谷崎の文学を読むときの目的として、その独特の文体の芸術性に触れるために読んでいる。
谷崎の文章は同著の「文章読本」でも触れているが、長く記憶に止まるような深い印象を与えるもの、何度も繰り返して読めば読むほど滋味のでるものである。
文章を書くときに余分を弾いた感じたままの文章表現、そして眼だけでなく耳心地も良い文章はすんなり頭に入ってくる。
『春琴抄』も、その例に洩れない。
春琴が盲目の目で見て感じるもの、佐助の狂気性が伝わってくる。
耽美な文体で、男女の愛の究極に浸りたい方に是非。
著者紹介
著者である谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう)について。
1886-1965年東京(日本橋)出身。東大国文科中退。在学中発表した『刺青』等の作品が高く評価され作家に。1949年文化勲章受章。主な作品に『痴人の愛』『春琴抄』『卍』『細雪』『陰翳礼讃』等、多数の著書がある。
谷崎は耽美派の代表とされる作家であり、雅な言葉で語られる巧みな文章表現が特徴。情痴や時代風俗等のテーマを芸術性を持って語る。
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